
A1 | For Elise | B1 | Piano Concerto |
A2 | Lullaby | B2 | Reverie |
A3 | Prince Igor 1st Theme From Polovetsian Dance | B3 | 1812 Overture |
A4 | Symphony No. 5 From the New World | B4 | A La Turka |
ディスコのクラシック。そう言われたら、思い浮かべるのはディスコ黎明期、70年代のヒット曲たち。
「愛の航海」や「ロック・ユア・ベイビー」でしょうか。私の好物たち。

しかし今回ご紹介するのは、ディスコのクラシックではありません。クラシックのディスコです。
人口に膾炙したクラシックの名曲を、ディスコ音楽に変換したもの。
みんなが知っている代表例といえばそりゃ「運命'76」ってことになるでしょう。これも私の好物。

さて今回お紹介するザ・フィラーモニクスはヨーロッパ産ディスコ。詳しいことはよくわかりません。
クレジットを見ると、イギリスのミュージシャンが演奏しているようです。フィラデルフィア関係ないじゃん。
おそらくクラシック音楽をディスコ化するために集められた、即席バンドなのではないかと思われます。
クラシック音楽の躍動感を、どん、どん、どん、どんのバスドラム4つ打ちディスコ・ビートに乗せ換えるのって、結構難しそうですよね。それゆえポップス職人にとっちゃ、腕の見せ所なのでしょうな。
素材の美味しいところをちっとも活かせぬ塩な編曲だったら、ダンスフロアはたちまち斎場のような空気になってしまいますからね。
その点、本作は上出来と言えましょう。原曲の品格を保ちつつ、リズムはしっかり腰に来ます。おまけになかなかの高音質。
さて、ディスコ化される元ネタのクラシック音楽はほぼ例外なく、誰もが知っている有名曲です。
本作もそうで、クラシック音楽にはアフリカの飢餓ほどの関心もない私でさえ、知っている曲ばかり。例えるならクラシックの演奏家さんが、田舎の公民館などで演奏会を催すときの曲目、とでも言えばいいのでしょうか。老若男女が一度や二度、耳にしたことのあろう曲たち。たとえタイトルは知らなくとも、聴けば「ああこれか、知ってる知ってる」と合点するような、耳に覚えのあるやつらです。
A4は下校時のテーマとしておなじみ「新世界より」です。〽遠き山に日は落ちて…のアレね。みなさんすぐに歌えるでしょ?
アレさえもディスコにしちゃうのですよ。とぼとぼ歩いて帰る家路のはずが、ディスコ・ビートでズンズンとストラットする帰り道になってしまいました。黄昏感ゼロや。
さてこの新世界、誰でも知る有名曲であることから、演奏家サイドの胸中には複雑な思いがあるようです。ちょっと古い新聞記事から引用しましょう。原田慶太楼さんという著名なクラシックの指揮者が語る、リーダー論のインタビューです。
「僕は嫌われてもいい。お客さんを喜ばせることばかり考えた演奏が嫌いです。『新世界』や『第九』ばかりやれば、お客さんは入るでしょうが、オーケストラも聴衆も育ちません。僕は日本人の若手作曲家を育て、今生きている日本人作曲家の曲を取り上げることをライフワークにしています」(読売新聞 2021/11/09 文化面)
いやあ、よくぞ言ってくれました原田さん。どうですかこの志。この崇高さ。
クラシック門外漢の私でも、おっしゃりたいことはわかる気がします。人々はどうしても、知らない曲よりも知っている曲を聴きたいのでしょう。
田舎の公民館で演奏会をする際の曲目を考えてみて下さい。「今生きている日本人作曲家の曲」と「新世界より」、どちらの方によりお客が入ると思いますか?
ディスコ音楽のプロデューサーやアレンジャー(ウォルター・マーフィーやらミーコあたり)が、みんなの知っている曲をネタにするのも、当然といえば当然なわけです。
斎藤晴彦さんだって、誰も知らない曲に歌詞を付けて歌ったりはしませんよね。
知っている曲を聴きたい。聴きたい聴きたい聴きたい。この呪縛はクラシックだけではありません。
ジャズの世界も、どうやら似たようなものらしい。
「有名な曲、スタンダードを演奏してください」とか「CDにはなるべくスタンダード曲を多く入れて」という圧がすごいの何の、とピアニストの守屋純子さんが自著で述懐しています。自作曲で勝負している守屋さんでさえ、こんな状況ですよ。
知っている曲に食らいつく事例として思い出されるのは、ひと昔前のJ-POP界。
新しく出るアルバムといえばベスト盤やカバー集ばかりでした。何せCDの売れない時代、知っている曲でないと手に取ってもらえませんからね。音楽業界が持続する上で仕方なかったとはいえ、これじゃ新しいものは何も生まれないよな、と暗澹たる気分になったものです。
これらに加え、握手券商法などもあって、当時のJ-POP界は業界全体でとにもかくにも枚数を上げることに狂奔していました。その結果、それなりに枚数は売り上げたものの、枚数のみをばひたすら追い求めて行き着く果てには、まるで骨粗鬆症のお婆ちゃんの大腿骨みたいに、スカスカになった音楽マーケットが待ち受けていたのです。
そういや最近は、あまり聞かなくなりましたね。握手券商法。
市場が飽和して、アタマ打ちになってしまったのでしょうか。この天井を突き破るためには、もはや過激化するしかないのかもしれません。握手の代わりにチンポ握るとか。
いやいや、さすがにそれはないか。どれだけCDを売りたくとも、人として越えてはいけない線ってものがある。
「愛の航海」や「ロック・ユア・ベイビー」でしょうか。私の好物たち。

しかし今回ご紹介するのは、ディスコのクラシックではありません。クラシックのディスコです。
人口に膾炙したクラシックの名曲を、ディスコ音楽に変換したもの。
みんなが知っている代表例といえばそりゃ「運命'76」ってことになるでしょう。これも私の好物。

さて今回お紹介するザ・フィラーモニクスはヨーロッパ産ディスコ。詳しいことはよくわかりません。
クレジットを見ると、イギリスのミュージシャンが演奏しているようです。フィラデルフィア関係ないじゃん。
おそらくクラシック音楽をディスコ化するために集められた、即席バンドなのではないかと思われます。
クラシック音楽の躍動感を、どん、どん、どん、どんのバスドラム4つ打ちディスコ・ビートに乗せ換えるのって、結構難しそうですよね。それゆえポップス職人にとっちゃ、腕の見せ所なのでしょうな。
素材の美味しいところをちっとも活かせぬ塩な編曲だったら、ダンスフロアはたちまち斎場のような空気になってしまいますからね。
その点、本作は上出来と言えましょう。原曲の品格を保ちつつ、リズムはしっかり腰に来ます。おまけになかなかの高音質。
さて、ディスコ化される元ネタのクラシック音楽はほぼ例外なく、誰もが知っている有名曲です。
本作もそうで、クラシック音楽にはアフリカの飢餓ほどの関心もない私でさえ、知っている曲ばかり。例えるならクラシックの演奏家さんが、田舎の公民館などで演奏会を催すときの曲目、とでも言えばいいのでしょうか。老若男女が一度や二度、耳にしたことのあろう曲たち。たとえタイトルは知らなくとも、聴けば「ああこれか、知ってる知ってる」と合点するような、耳に覚えのあるやつらです。
A4は下校時のテーマとしておなじみ「新世界より」です。〽遠き山に日は落ちて…のアレね。みなさんすぐに歌えるでしょ?
アレさえもディスコにしちゃうのですよ。とぼとぼ歩いて帰る家路のはずが、ディスコ・ビートでズンズンとストラットする帰り道になってしまいました。黄昏感ゼロや。
さてこの新世界、誰でも知る有名曲であることから、演奏家サイドの胸中には複雑な思いがあるようです。ちょっと古い新聞記事から引用しましょう。原田慶太楼さんという著名なクラシックの指揮者が語る、リーダー論のインタビューです。
「僕は嫌われてもいい。お客さんを喜ばせることばかり考えた演奏が嫌いです。『新世界』や『第九』ばかりやれば、お客さんは入るでしょうが、オーケストラも聴衆も育ちません。僕は日本人の若手作曲家を育て、今生きている日本人作曲家の曲を取り上げることをライフワークにしています」(読売新聞 2021/11/09 文化面)
いやあ、よくぞ言ってくれました原田さん。どうですかこの志。この崇高さ。
クラシック門外漢の私でも、おっしゃりたいことはわかる気がします。人々はどうしても、知らない曲よりも知っている曲を聴きたいのでしょう。
田舎の公民館で演奏会をする際の曲目を考えてみて下さい。「今生きている日本人作曲家の曲」と「新世界より」、どちらの方によりお客が入ると思いますか?
ディスコ音楽のプロデューサーやアレンジャー(ウォルター・マーフィーやらミーコあたり)が、みんなの知っている曲をネタにするのも、当然といえば当然なわけです。
斎藤晴彦さんだって、誰も知らない曲に歌詞を付けて歌ったりはしませんよね。
知っている曲を聴きたい。聴きたい聴きたい聴きたい。この呪縛はクラシックだけではありません。
ジャズの世界も、どうやら似たようなものらしい。
「有名な曲、スタンダードを演奏してください」とか「CDにはなるべくスタンダード曲を多く入れて」という圧がすごいの何の、とピアニストの守屋純子さんが自著で述懐しています。自作曲で勝負している守屋さんでさえ、こんな状況ですよ。
知っている曲に食らいつく事例として思い出されるのは、ひと昔前のJ-POP界。
新しく出るアルバムといえばベスト盤やカバー集ばかりでした。何せCDの売れない時代、知っている曲でないと手に取ってもらえませんからね。音楽業界が持続する上で仕方なかったとはいえ、これじゃ新しいものは何も生まれないよな、と暗澹たる気分になったものです。
これらに加え、握手券商法などもあって、当時のJ-POP界は業界全体でとにもかくにも枚数を上げることに狂奔していました。その結果、それなりに枚数は売り上げたものの、枚数のみをばひたすら追い求めて行き着く果てには、まるで骨粗鬆症のお婆ちゃんの大腿骨みたいに、スカスカになった音楽マーケットが待ち受けていたのです。
そういや最近は、あまり聞かなくなりましたね。握手券商法。
市場が飽和して、アタマ打ちになってしまったのでしょうか。この天井を突き破るためには、もはや過激化するしかないのかもしれません。握手の代わりにチンポ握るとか。
いやいや、さすがにそれはないか。どれだけCDを売りたくとも、人として越えてはいけない線ってものがある。
★★★ | 採点表を見る |
Traditional Arrangements by Steve Gray
Orchestra Conducted by Steve Gray
Studio: Morgan London
Mixed at Morgan Brussels
Alto Solo: Stan Sylzman
Trombone Solo: John Edwards
Drums: Barry Morgan
Percussion: Jim Lawless
Latin Percussion: Ray Cooper
Guitar: Alan Parker
Bass Guitar: Herbie Flowers
Piano: Mike Morgan
Engineer: Mike Butcher
Produced by Jean Kluger for Biram Productions
Photography: David Alexander
Art Direction: Diana Kaylan
Design: Rod Dyer
Orchestra Conducted by Steve Gray
Studio: Morgan London
Mixed at Morgan Brussels
Alto Solo: Stan Sylzman
Trombone Solo: John Edwards
Drums: Barry Morgan
Percussion: Jim Lawless
Latin Percussion: Ray Cooper
Guitar: Alan Parker
Bass Guitar: Herbie Flowers
Piano: Mike Morgan
Engineer: Mike Butcher
Produced by Jean Kluger for Biram Productions
Photography: David Alexander
Art Direction: Diana Kaylan
Design: Rod Dyer
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